大宮のオレンジのユニフォームを着たのは今季からだというのに、すっかりチームの中心選手としての頼もしさを見せる小林大悟選手。
日本代表に選ばれたのはW杯後のオシム・ジャパンが初めてだが、出身のサッカーどころ・静岡では早くから「将来の日の丸戦士」として期待された逸材だった。ユース時代には、AFCアジアユース選手権(2002年カタール)・FIFAワールドユース選手権(2003年UAE)も経験している。
そんな小林大悟選手、少年時代はどんなふうに過ごしてきたのだろうか…。大の野球ファンだというお父様のことなど、楽しい話も満載のインタビュー!
★小林大悟選手のインタビュー全編(動画)は4th MEDIAで公開されています。
- Q:サッカーどころ、静岡県で育った小林大悟選手ですが、まずサッカーとの出会いを教えてください。
- 「小学3年の時。友達がサッカー少年団(岩松サッカースポーツ少年団)の練習に行くのに、遊び半分で付いていったのがきっかけです。少年団の練習に参加したら楽しくて、そのままハマっちゃって…。それで、自分もすぐに少年団に入ったんです」
- Q:静岡で小学3年からサッカーを始めるというのは遅いほうなのでは?
- 「みんなは小学校に上がる時にはサッカーを始めていたので、遅いほうだとは思います。僕は、サッカーを始めるまでは野球をやっていて、ずっと野球のほうが好きだったんですよ。テレビで見るのも友達と遊ぶのも野球。うちの親父が野球好きで、テレビで野球中継をやっていると他の番組を見せてもらえないくらいでした(笑)。熱狂的なジャイアンツファンだったんですよ」
- Q:お父様は野球をやってほしかったんじゃないですか?
- 「サッカーを始めた頃、毎週日曜日に試合があったんですけど、親父は僕に野球をやってほしかったらしくて、1回も観に来ませんでしたね。サッカーをやることについては、ずっと反対していました。
でも、小学4年で富士市選抜に選ばれて、そのまま静岡県選抜、東海選抜と選ばれて…その頃から、親父もサッカーに興味を持ち始めたみたいです」 - Q:当時はどんなプレーヤーだったんですか?
- 「少年団ではFWをやっていたんだけど、選抜ではずっとセンターバックでした。小学6年の終わり頃から、今と同じ中盤のポジションになったんです。
当時は背が小さいほうで細かったんですよ。だからこそ、どうやったらボールを奪えるかとか、先を読むことを考えてプレーしていたのかも…。当時はそういうプレーが得意でした」 - Q:中学校は、清水市の東海大学第一中を選びました。サッカーの名門中学ですが、ここを選んだ理由は?
- 「野球好きだった親父に強く勧められました(笑)。気付いたら僕よりも親父のほうが力が入っていて…。僕に可能性を感じたのかはわからないですけど、『上を目指さなきゃだめだ』『名門校に行けば、もっとうまくなれる』と勧められました」
- Q:名門中学に入学した時、ギャップを感じたりしたことは?
- 「小学校の時は、やりたいことをなんでも好きにやっていたんですよ。ただ、やっぱり東海大一中では周りのみんながうまくて…。でも細かいテクニックとかには自信がありました。それはサッカーを始めてすぐ、選抜チームに入ったころから持っていたんじゃないかな、と思います。
中学から中盤になって、その後はずっとポジションは変わってないですね。東海大一中のグランドはすごく狭いんですよ。名門校なので部員が100人以上いるんですけど、そのすごく狭いスペースの中で100人以上がボール回しとかするんですよ。今考えると、あの狭いグランドのおかげで、細かい技術が磨かれたのかも(笑)。本当に、それが大きく今に生きていると思います」 - Q:そして、高校も名門の清水商業高校に進むんですよね?
- 「これも親父の勧めです(笑)。親父の中では、東海第一中から清水商業高っていうラインが頭の中にあったみたいで…。川口能活さん(ジュビロ磐田)とかと同じコースですね。中学から高校に上がる時、僕なりにどこの高校に行くかいろいろ悩みました。でも親父に『清水商業に行かなくちゃだめだ』と言われて、それで決めたんです。もちろんそれだけではないですけど…」
- Q:高校時代には、全国高校選手権出場2回、国体準優勝2回、全日本ユース選手権優勝などの成績を収めています。中でも思い出に残っているのは?
- 「高校1年の高校選手権は、自分がレギュラーとして出て静岡県予選を突破。全国大会に出られたのはすごく自信になりましたね。それが『このままやっていけばプロになれるかもしれない』という、プロへの意識を強めたんだと思います。
高校では2週間くらいブラジル遠征に行ってホームステイしたり、サッカーを通して色々な経験をしてきたと思います。チームメイトとは、もう朝から夜遅くまでずっと一緒。合宿に行ったら、もっと一緒にいたわけで…家族より仲間といる時間のほうが確実に多かったです。みんなで一つの目標に向かって必死で頑張った日々は、今思うとすごくいい思い出になっています。
清商は、朝の練習からいきなり紅白戦やるんですよ。もう、ケガ人続出ですよ(笑)。監督はサッカー以外にもいろいろと厳しかったんですよ、身だしなみとか、あいさつをするとかね。ズボンを腰ではくなと言われてたんで、サッカー部はみんな高校生らしくきちんとしていました。その反動で、今の僕はこうなりましたけどね(笑)。
高校2年の時は、あんまり勝てなかった…走った記憶しかないです。試合で負けた次の日から、朝7時に集合して学校の近くの山を走ってましたから。それで高校3年の時には試合に勝てたと思います。というか、そう信じています。高校選手権も、県予選を突破して全国大会まで行きました。そこでは、3回戦でPK戦の末に負けちゃったんですけど…」 - Q:東京Vでプロになったわけですが、2003年と2004年でプレーが大きく変わったように思うんですが?
- 「確かに、あの時期にプレースタイルが変わりました。大幅には変わってないんですけど、それまで1タッチか2タッチで簡単にはたいていたのが、もっと選択肢が増えたというか…。
アルディレス監督(当時)に『それだけでは相手にとって怖くない。ボールを持ったら離すな。相手選手を全員抜いて行け』って言われたんですよ。それで自分の中で、パスするだけじゃなくて、自分で打開していくという選択肢が増えました。状況によって、パスをするのか自分で行くのか、すごく考えるようになったんですよね。あのアドバイスでプレーの幅が広がったと思います」 - Q:最近はFWのポジションに入ることもありますが?
- 「サイドハーフとFWでは、大きく役割が違います。でも、今の大宮で自分が求められているのは純粋なFWとしての動きというよりも、ゴールに絡む動きなんだと思うんです。何が自分の仕事かがはっきりしているので、問題は全然ないですね。自分の役割についてはハッキリとわかっているつもりなので、特に監督とそのことを話したりはしてないですけど、FWをやれって言われればスムーズにそこでプレーできます。
ただ、同じポジションをずっとやるのと頻繁にポジションが変わるのとでは、周りとのコンビネーションとかの部分で少し違いはありますけど、大宮の選手はみんな個々の技術がしっかりしていますから。自分はチャンスメイクするっていうことだけを心がけてプレーするようにしています」 - Q:プライベートでは最近、埼玉大学で講義を受けているそうでうね。公私ともに充実してきているように思いますが?
- 「はい。埼玉大学のほうから、大宮の選手のために開講してくださるというお話をいただいて、藤本選手と僕で通っています。僕は高校卒業と同時にプロに入ったから、大学に行って勉強するってことだけでワクワクしてます(笑)。今はヨーロッパの文化、歴史、地理、宗教などについて勉強しているんすけど、もうすぐ、日本の文化、地理、哲学、歴史なんかの講義になるらしいですよ。
大学の講義って、高校の教科書だったら端に小さく書かれているようなことを深く教えてくれるんですよね。自分が興味を持ったことを質問したら、それについて細かいことまで教えてくれるでしょう? だから、すごく楽しいです。
今思えば、高校時代にもっと勉強しておけばよかったなと思います。あの頃はサッカーしかやってなかったですから。朝の練習が終わったら、授業中はバケツに足を突っ込んでアイシングしていましたからね(笑)」 - Q:今季も残り数試合になりましたが、今後の目標は?
- 「なかなか勝てない時期もありましたが、今の状況を少しでも打開して、チームがもっといい状態になることが天皇杯や今後につながってくると思います。そのためには、自分自身がもっと得点に絡んでいかないといけないですね。シーズン初めに、今季の目標を10得点と言っていたんです(29節終了時・7得点)。だから、個人的にはそれを達成したいし、それをチームの勝利につなげていけたら…と思います」
- Q:では最後に、サポーターのみなさんへメッセージをお願いします。
- 「いつも応援ありがとうございます。残りの試合、ひとつでも多く勝てるように頑張りますので、応援よろしくお願いします」
以上
インタビュー/了戒美子
構成/ウェブサイトJ's GOAL編集部



