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【相馬直樹&名良橋晃がサイドバックを語る!】攻守両面でキーになるポジション。アウトサイドはただ上がってナンボじゃない!(1)(08.04.17)

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今年発売になって、話題を呼んでいるWiiのウイイレ、ウイニングイレブンプレーメーカー2008。凄いのは、フィールド上の選手を誰でも動かせるところ。スペースを作る動きや、フリーランニングなど、かなり実際のサッカーの戦術に近いものがゲームで再現できる。また大きな魅力のひとつとして、サイドバックのオーバーラップがあげられる。これまでのウイイレでは、サイドバックをオーバーラップさせたい場合、フォーメーション設定なども含めた複雑な操作が必要だったが、今回のWiiのウイイレは、リモコンで指示を出すだけで思い通りにサイドバックを上がらせることが可能なのだ。
そこで、鹿島アントラーズ、日本代表の両サイドバックとして活躍した右の名良橋晃氏と左の相馬直樹氏が久しぶりに再会し、現役時代の思い出やサイドバック観について語ってくれた。鹿島の常勝時代や第1期岡田ジャパンの裏話など、対談は大いに盛り上がりを見せた。また実際にゲームを体験してもらい、日本を代表するサイドバックの選手からみたウイイレプレーメーカーについての感想も聞いた!
■出会った当時は、同じ左サイドバックでポジションかぶりだったんだよね
Q:改めて伺いますが、お2人の出会いは?

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名良橋「バルセロナ五輪代表時代に合宿で泊まった多摩センターのホテルで同部屋だったんです」
相馬「90年の9月くらいかな」
名良橋「僕は高校選手権の時から相馬クンのことを知っていたんで『同部屋かよ〜』と。その前に(元平塚の)名塚(現札幌U-12コーチ)さんから情報を収集してて『寝る時は気をつけろ』って(笑)」
相馬「歯軋りでしょ。僕の方はナラをちょっと怖い人かなと。『名良橋さん、どうですか?』みたいな感じでした(笑)」
相馬「最初、僕らは同じ左サイドバック。ポジションかぶりだったんだよね」
名良橋「でも五輪代表では相馬クンの方が先輩。僕は馴染むことから始まったけど」
相馬「ナラはとにかく速いと聞いてた。ポジション争いはきついなと正直、思いましたね。で、僕は最終的に負けた。スピードも含めてパワフルだったし、今でも韓国戦で両足つってる姿は思い出すけどね…」
名良橋「そうだっけ…」
相馬「当時は僕が大学生で、ナラはフジタの選手でしょ。それも大きいよ」
名良橋「僕がいろいろご馳走したな」
相馬「ステーキ2枚くらいとか。よくナラのフェアレディZにも乗せてもらったね」
名良橋「ホント、よくアッシーしたよ」
Q:古い付き合いですね。左利きでない2人が左サイドバックというのはどうですか?

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相馬「いや、今も右利きが多いよね」
名良橋「安田(理大=G大阪)君とか」
相馬「日本人は左利きが少ないし。右利きだと中に入れるのが一番のメリットかな」
名良橋「クロスはかなり練習したね」
相馬「自分がいやになってくるんだよね。センタリング&シュートの練習で、いいボールが上がんなくて、中の選手にフテられるとね」
名良橋「分かる、分かる。ボール置きに行って堅くなっちゃうというか…。僕は右になって悩みが多少はなくなりましたけどね」
相馬「こうボールを置けたらこう蹴れるとか…、そういうのがだんだん、つかめるようにはなってくるけどね」
名良橋「相馬クンがセンタリング上げた後とかに『あぁっ!!』って言ってると、『今日はダメなんだな〜』と思う(笑)。結構、茶化されたでしょ。本田(泰人=現解説者)さんに『しっかり上げろ〜』って(苦笑)」
相馬「一番きつかったのが、ジョルジ(ーニョ)がさ、中へ入る時、ボールがちょっとでもズレると途中でやめる瞬間…」
名良橋「あった、あった」
相馬「あれ、すごいショックじゃない。2回3回続くとガックリしちゃう(苦笑)」
Q:お2人のJリーグ参戦は94年ですね。

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名良橋「僕はその時点ではもう右サイドになってた。変わったのは平塚時代ですね。岩本輝雄(現解説者)が入って、ブラジル人コーチにコンバートされて…。92年くらいかな。それほど戸惑いはなかったです」
相馬「ナラとのマッチアップは嫌だったね。ホントに削られたから(苦笑)」
名良橋「95年(5月3日)だったね」
相馬「当時のJはまだ2人しか交代できなかった。で、鹿島は前半で0−2くらいで負けてて、ハーフタイムに2人代えたから、僕が削られた後は10人でやったんだよな」
名良橋「7−0だったね。鹿島は10人だし、相馬クンが左にいないんで、もうスカスカというか、上がりたい放題。当時の平塚にはアウミールっていう外人がいたけど、その選手と僕が右サイドを制圧してしまって…」
相馬「野口(幸司=現解説者)さん、4点くらい取ったでしょ」
名良橋「いや、5点じゃないかな」
相馬「ジョルジが出場停止かなんかで」
名良橋「サントスもそう。しかも鹿島は渋滞で前日の夜中に平塚に着いたんだよね。でもそれ以外は鹿島に負けた記憶しかない。ジーコの引退試合とかね。本田さんが3点くらい得点した試合もあったし。同じ95年のセカンドステージには、平塚の優勝がかかってたのに、鹿島に負けたでしょう」
相馬「あー、そうだ。ごめんね(笑)。ナラは僕を削った後からあんまり来なくなったよね。ちょっとためらった?」
名良橋「ためらったというか、やっちゃダメでしょ(苦笑)。いつも相馬クンの奥さんに言われてましたよ。『もうやめて』って」
相馬「移籍して同じチームになることが決まった時、ウチの奥さんが『これでケガしないで済む』って言ったからね(笑)」
Q:名良橋さんの鹿島移籍は97年でした。

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名良橋「やっと同じチームになれた」
相馬「ジョルジーニョと一緒にやりたかったんだよね。僕は関係ないでしょ」
名良橋「そんなことないっすよ(笑)。僕、最初は重い番号をつけてたんだよね」
相馬「32番だね」
名良橋「当時はすごくカッコ悪いんですよ。『32かあ〜』って感じ。で、移籍してすぐの頃、ナビスコカップの前の練習で紅白戦をやったときに、別々のチームになったので、対面になって『同じチームになってもまたかよ〜』って思ったことがありました。その後、やっと同じ方へ行けるようになった」
相馬「やっと同じ方にね」
名良橋「鹿島に行って思ったのは、やっぱり練習でも1人1人のレベルが高いということ。相馬クンはすごいクレバーだった。右2人(自分と秋田豊=現京都コーチ)は勢いっていうか。左の2人、奥野(僚右=現鹿島ヘッドコーチ)さんと相馬君はクレバーなんだよね。で、相馬クンと秋田さんはお互いの考えが強くて、よくぶつかりあってた。僕と奥野さんが『まあまあまあ』って(笑)」
相馬「ナラは『また、なんかやってるよ〜』みたいな感じで見てたよね」
名良橋「相馬クンはアキさんに何か言われると『いやーっ、違うでしょう』とか。始まりました〜って感じ(苦笑)」
相馬「アハハ…。ナラに関しては、前へダーンと行ける力がすごい。ホントはもっと行きたかっただろうけど、我慢してたんじゃないかな。どっちが行くか競争だったし」
名良橋「たまに相馬クンが行って、僕も行っちゃってることがありましたね(笑)」
相馬「そういう時はすっごく怒られる」
名良橋「アキさんに『ナラ、戻れ〜』って。いつもそうだった(苦笑)」
Q:鹿島の黄金時代の思い出は?
相馬「僕はやっぱり97年が一番強かったと思うんだけど」
名良橋「鹿島は96年にも優勝してたので、僕なんかが(97年に)本当に移籍できるのかと思ったね」
相馬「ナラはブラジル合宿の練習試合でいきなり点を取ったんです。やっぱすごいなと。誰にも文句言わせないからね」
名良橋「2000年に3冠取ったけど、97年も3冠取れたチームだったよね」
相馬「2000年の方が勢いだったもんね。最後にかけてぐっと来た感じだったから。97年は「ビス(マルク)とナラという2人の新加入選手がいて、それで最初から強かったっていうのはホントすごかった」
名良橋「斜め前のボランチに(ジョルジーニョが)いたんで、走れば出てきますし。ビス(マルク)からも出てくる。ジョルジから相馬クンへのロングパスもまた、きちんとしたボールなんだよね」
相馬「後ろで見とれてるんだろ(笑)」
名良橋「キレイに来たもんね」
相馬「で、3番(秋田)に『ナラ、戻れ〜』って言われるんだろ(苦笑)」

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Part 2へつづく...>>

プロフィール

相馬直樹
日本を初めてワールドカップに導いた、元日本代表の左サイドバック。鹿島在籍時は、積極的なオーバーラップを武器に不動の左サイドバックとして活躍し、各数のタイトルを獲得し、チームの黄金期を支えた。

名良橋晃
日本を初めてワールドカップに導いた、元日本代表の右サイドバック。平塚(現:湘南)では超攻撃型サイドバックとして天皇杯優勝にも貢献。97年鹿島に移籍し、数々のタイトルを獲り黄金時代の主力選手として活躍。