本日16時より、大阪市内にて森島寛晃選手(C大阪)の現役引退会見が行われました。会見の模様を以下に掲載いたします。
●森島寛晃選手(C大阪):
「本日はお忙しいなか、お集まりいただき、誠にありがとうございます。私、森島寛晃は、今シーズンを持ちまして、現役を引退する決意をいたしました。ヤンマーでの3年間を含め、C大阪で18年間、本当にファン、サポーターの皆様に支えられて、ここまでがんばってこれたと思います。本当にありがとうございます。また、スポンサーの皆様をはじめ、お世話になった皆様方に、本当に心から感謝の言葉を述べたいと思います。本当に長い間ありがとうございました。
自分自身、昨年の3月から戦列を離れ、なんとかピッチに立ちたいという…、なんとか、もう一度ピッチの上でプレーをしたいという思いで頑張ってきましたけど、サポーターの温かい言葉をいただき、なんとかピッチでもう一花咲かせたいと思って頑張ってまいりましたけど、自分の再起がなかなか見えてこず、こういう引退という形になりました。ただ、今後もC大阪になんとか携わって、C大阪の目標であるタイトルを取るということ、自分自身もそこになんとか携わって優勝させたいという思いを持って今後頑張っていきたいと思いますし、大阪の、本当にこの大阪の街を、もっともっとサッカーを盛り上げていって、東京に負けないだけのサッカー人気にしていきたいと思いますので、今後ともよろしくお願いします。
C大阪も残り4試合、J1復帰に向けて、これから大事な時期になってきますが、自分自身も最後の最後まで、プレーヤーとして、みんなと一緒に一生懸命戦っていきますんで、今後ともよろしくお願いします。本当にありがとうございました」
●藤田信良 代表取締役社長(C大阪):
「C大阪の藤田でございます。森島選手につきましては、今シーズンをもって現役を引退し、来年の2月1日からC大阪のアンバサダーという肩書きで、C大阪の広報・普及活動に専念していただきます。そして、その一方で将来、指導者になる目的で、当然ライセンス取得に努力していくことになると思います。もうひとつ、弊社の育成クラブであります『ハナサカクラブ』、このサポートクラブの初代会長として、広く支援活動の先頭に立っていただきたいと、このように考えております」
●森島寛晃選手への質疑応答
Q:引退を決意された理由と、C大阪、日本代表を通じて、最も印象に残っていることは?
「引退を決意した理由は、先ほども申しましたけれど、今シーズンに復帰できる目処が立たなかったら、自分のなかで来シーズンはないということを考えていました。今シーズンは外から見ることが多かったですが、そのなかで今後のC大阪を支えてくれる選手が出てきたということで、自分自身も本当に託せるかなと。本当にC大阪というチームが大好きだったので、そのチームを本当に日本一にしてくれる選手が出てきたなと感じたことも、引退を決意できたきっかけになりました。
あと、C大阪でずっとやってきたなかで、自分自身を必要としてくれたC大阪にはすごく感謝していますし。まあ、ひとつ言えば、タイトルを取りたかったなと。それがちょっと心残りではありますけれど、自分のなかでは今後C大阪をサポートできればなということにもつながっていきましたので、本当にいい経験をさせてもらいました。代表では、本当に小さいころから憧れていた日本代表で、ましてや自分のホームグラウンドの長居で、(2002年W杯のチュニジア戦で)得点できたというのは、自分のなかでの財産になると思います」
Q:引退の原因となった首の痛みに関して、発症してから約1年半のリハビリの経過や、ご家族の支えについて教えてください。
「首の痛みについては、昨年の1月の終わりに、ジョギング中、頭が本当に中がつったような感じになり、そこから動けない状態に一度なりました。いろんな検査をした結果では、原因がどこというのははっきりしなかったので、いろんな治療で、できることはやりました。昨年の終わりくらいまでにはすごく状態がよくなってきたのですけど、現場に復帰するというのは、ひとりひとり勝負するピッチ(場)なので、自分もある程度勝負できる体がしっかり整ってから(復帰する)というふうに考えていました。そこでなかなか(復帰までに)至らなかったということです。
家族の支えというところで、自分自身結婚をしていなかったら、本当に途中でくじけそうなときもありました。そういうなかで、常にここまでいろいろ支えてくれた家族には、感謝しています」
Q:「最後の最後まで戦われる」と言われたが、それは今後、試合に出るということなのでしょうか?
「そうですね、12月6日に、途中で、ちょっとでも出られるように準備して、なんとかそこで出してもらえるように、頑張っていこうと思っています。実際には出られるか出られないかは分かりませんが、自分のなかではそこに出るつもりで、頑張っていこうと思っています」
Q:18年間のプロサッカー生活で、C大阪、日本代表とやってこられて、今一番思い出されるプレーと、それを選ばれた理由は?
「18年を振り返って、これというのは、ひとつに選べないくらい、いい思い出も悪い思い出もありました。C大阪でやってるなかで、優勝というのをあと一歩でできなかったリーグ戦の試合というのは、最初のあと一歩(で優勝できなかったこと)もそうですが、前回のあと一歩で優勝(できなかった)というところは、常に自分のサッカーをするなかでは頭から離れないので、その悔しさというのは、これからずっと持ち続けるものだと思います」
Q:チームメートにはどのように伝えたのか?
「自分のなかで、本当に、チームの一員としてピッチで一緒にできず申し訳ないという気持ちと、あと、やっぱり自分自身もC大阪というチームがすごく好きなので、ひとりじゃなく、ひとりひとりの全員が、C大阪というチームを勝たせたいと、ピッチの上でだれが見ても戦ってるという姿が分かるくらい、そういう気持ちを今後出していってほしいということを、伝えたつもりでいます。
あと、最後にキャプテン(前田和哉)のほうから、『一緒に今までやってきたことというのを、しっかり自分たちも受け止めている』という形で言葉をいただいて、『今後頑張っていく』という話をいただいたので、自分自身も今後サポートしていきたいなと思っています」
Q:チームから離れてU-19日本代表に参加している香川選手、柿谷選手には、出発前などに話されたりしましたか?
「自分自身、自分の思いもあったんで、シンジ(香川真司)のほうはちょっと話す時間もあって、今までC大阪でやってきたなかで、今後C大阪を引っ張ってくれる選手は、自分自身、香川真司だと思っているので、自分の思いというものを、ご飯を食べながら、本人には伝えたつもりではいます。ヨウイチロウ(柿谷曜一朗)のほうには時間が取れなくて、まだ話しはできていないんですが、本当にヨウイチロウも、僕は日本サッカー界のなかでも天才だと思っていますし、あいつが本当に化けてくれれば、化けてくれるという言い方は変ですが、活躍してくれれば、C大阪は優勝できると思います」
Q:選手生活で、一生懸命やっている印象がすごく強かったですが、そのなかで貫いてきたサッカーに対する思いはありますか?
「自分のなかで、小学校の頃からサッカーをやるにあたって、味方にも、敵にも、だれにも負けたくないという気持ちで、常に練習でも試合でもやってきたつもりでいますし、自分のなかで本当に一番になりたいという思いがなければ、ここまでできていなかったと思います。自分のなかでは常に一番になりたいと、強い信念がありました」
Q:C大阪の前身であるヤンマーからプロで始動されて、先ほどの話しのなかでも「悔やまれるのはタイトルを逃したことだ」と、C大阪に対する強い思いを持っていられたが、ほかのクラブからもオファーがあったと思うが、C大阪にこだわり続けた理由と、C大阪を愛せる理由を教えてください。
「ヤンマーさんからお世話になり、ずっとやってこれたのも、自分自身がいろんな選手と同じチームでやってきて、すごくこのチームのカラーというか、ファミリーというか、昔から変わらないし、本当にみんなで頑張ろうという、すばらしいチームというのが、自分のなかであったので、何が何でもこのチームで優勝しなければならないという気持ちが強かったです」
Q:引退後はアンバサダーとして活躍されると思うが、後進にはどういう選手を育てたいでしょうか? あと、森島選手がC大阪の監督として戻ってこられるのを、サポーターも楽しみにしていると望んでいると思うが、将来的な考えを教えてください。
「自分の『教える』ということについては、自分自身も勉強していろいろやっていかなければならないことだと思うのですが、ひとりでも多くのJリーガーが生まれてくれば、僕にとってもうれしいです。自分もライセンスを取得して、選手じゃない形でもう一回ピッチに帰ってきたい思いも持っていますので、やはり今度は監督という形でもう一回ここでお世話になることができればいいなと思っています」
Q:憧れの木村和司選手も36歳で引退されましたが、森島選手も36でサッカーをやめると思っておられましたか?
「36歳までやるとは自分のなかでも思っていなかったですし、自分自身もここまでサッカーをやってこられたのも、周りの皆様の支えがあったからこそで、今改めて周りに支えられたことを実感しましたので、ここまでできたことに自分自身もビックリしている」
Q:背番号8について、チームのなかで引き継いでほしい選手はいますか?
「自分のなかでは、話は一応したんですが、どういう形になるかは分からないですが、一応シンジ(香川)には、着けてほしいなという思いがあり、話はしました」
Q:チュニジア戦でのゴール後、「俺もここまで来たか」という思いを感じたりしましたか?
「ここまで来たかというのはなかったですが、自分自身、前回98年のW杯のとき、出場時間は短かったが、なんとか結果は残したいと思っていたので、やっぱり(2002年W杯で)得点を取れたということで、ひとつ自分のなかでの結果は出せたと思いますが、それに満足というよりは、まだまだもう一回W杯に出たいという強い思いになりました」
Q:自分のプレーで、これは「俺なりにほかの選手が到達できないところまでやれている」ということを、どれくらい感じましたか?
「いや、それは自分のなかで、毎回毎回すばらしい選手が出てきますので、ほかの選手にも負けたくないという気持ちはずっと変わらなかったので、そういった意味では自分のプレーに満足できたことはないです」
Q:C大阪サポーターだけでなく、森島選手は大阪の誇りであり、日本の誇りでありましたが、C大阪サポーターや、そのほかのサッカーファンに向けてメッセージをお願いします。
「今まで、ここまでやってこれたなかで、本当にいいときも悪いときも、サポーターの皆さんに非常に温かい声をいただきながら、自分もめいっぱいプレーできたので、本当に感謝しています。本当にサッカーをやっているなかで、サポーター、応援してくれる人がいないと、本当に選手も頑張れないと思うので、これからもどんどん皆さんがサッカーを好きで応援してほしいですし、自分自身もこれから頑張っていきますので、今後ともよろしくお願いします。長い間ありがとうございました」
Q:C大阪、日本代表での試合だけでなく、Jリーグオールスターゲームでの活躍も印象的で、MVPも取ったり、今まで最多得点を挙げていて、今後もこれは破られないだろうと思われますが、オールスターでの記憶は?
「そうですね、本当に、ほかのチームの代表の人たちが選ばれたなか、サポーターの人に選んでもらったなかでの、一年に一回のお祭りというか、自分もすごく楽しみにしていて、思い出に残るゴールもありまして、すごく印象に残ってます、オールスターは。『ピクシー』と言っていいんですかね(笑)、ストイコビッチ監督(名古屋)から、(自分の)後ろからパスが出て、そのまま浮き球を蹴ったら、狙っていない方向でしたが、きれいな形で入ったのは自分自身思い出に残っています」
以上

