【町田 vs 湘南】 ウォーミングアップコラム:3季ぶりメンバー入りの戸高弘貴 それを支えた李漢宰の経験

2017年5月6日(土)



5月3日のロアッソ熊本戦が、3季ぶりのメンバー入りだった。戸高弘貴(写真)はベンチに腰を下ろしただけで、まだピッチに足を踏み入れたわけではない。しかしチームにとって、サポーターにとっては間違いなく大きな“一歩”だった。

自分がFC町田ゼルビアを取材して、最も思い入れの強いシーズンは2014年のJ3。町田がJ2昇格を決めた15年、一時はJ2首位に立つ快進撃を見せた16年にも当然いい思い出はある。ただ14年は嬉しい驚き、楽しい発見の多いシーズンで、また違う味わいがあった。

相馬直樹監督が復帰して1年目。J3初年度のゼルビアは今に至るアグレッシブなスタイルに取り組み始めていた。そんな戦いを支えた一人が、大卒ルーキーの戸高弘貴である。戸高は大分トリニータU-15、静岡学園高、立命館大の出身で、大学時代はこれという実績を残していない。そんな無名選手が開幕戦から途中出場を果たし、第8節・J-22選抜戦では初先発。そのままチームの中心として定着していく。

戸高はとにかくドリブルが強烈だった。身長160㎝前後の小兵だが、重心が低くバランスも抜群。ボールタッチは早送りを見るようだった。普通の選手は足が速くても、スピードを上げるとプレーの精度が落ちる。ただ戸高はボールを持っても速かったし、フルスピードからでも急減速、切り返しと自在だった。

相馬監督も「人と間合いがちょっと違う」と評する異能もあり、戸高は近い距離間で勝負する町田のハイプレス&ショートカウンターにフィットしていた。14年の彼はJ3で27試合に出場して5得点。インパクトも含めると数字以上のモノを残している。

しかし彼は同年11月2日のJ3第30節・YS横浜戦から、長いトンネルに入ってしまう。左膝関節軟骨損傷で同年の12月26日に手術を受けたと聞いたときは、特に心配もしていなかった。ただ翌年もなかなか状態が戻らず、15年7月に再手術。ピッチ脇の別メニュー組で黙々とリハビリをしながら、重苦しい日々を送っていた。気づくと一度も公式戦に出られぬまま、2年半が過ぎていた。

それでも今季に入って徐々に全体メニューに合流する時間も増えて、4月に練習を取材したときは紅白戦でも違和感なくプレーをしていた。そんな中で迎えた5月3日のベンチ入りを、感慨深く受け止めていたチームメイトがいる。それはキャプテンの李漢宰だ。

「僕も彼と同じケガをして、苦しんで復帰した経験がある。左膝の軟骨がはがれて僕もベンチに入るまで2年、スタメンに戻るまで2年半かかっている。だから戸高の気持ちが非常に分かる」

李も札幌でプレーしていた2010年に、同じ左膝の軟骨を傷めている。直後は「全治3ヶ月」とされていたが、実際は復帰までに何倍もの時間を要した。膝の軟骨はサッカー選手にとって傷めると厄介な部位なのだという。李はこう説明する。

「やった選手に聞いたらみんなそうです。全治2ヶ月、3ヶ月って言われますけど……。僕も過去に色んな怪我をしてきて、親指が折れても痛い中でやったこともあったけれど、(左膝の軟骨は)『痛くて我慢できる』とはちょっと次元が違う。痛いプラス力が入らないから、筋肉がつかない。どんなに筋トレをしても筋肉がつかない状態が1年くらい続いた。やり方を変えて、模索をして復帰までたどり着いた」

そんな“先輩”として、彼は戸高に対してこのような気遣いをしていた。李はこう明かす。「なかなかトンネルの出口が見えない中で、他人から『自分はこうだった』『ああだった』って言われても、気持ちが落ちているときって聞いているようで耳に入らないんです」

だから言い過ぎないように気を配りながらも、キャプテンはタイミングと内容を選んでメッセージを伝えていた。

戸高のリハビリは李漢宰以上の苦闘だった。2度の手術に加えて、身体のバランスが崩れたことにより他部位の負傷も多発。特に肉離れは本人が「肉離れは全部しました」と苦笑いするほど頻発した。肉離れをしなかったのは「右足の腿前」だけで、左右両足のふくらはぎ、左のハムストリングと考え得るほぼすべての部位で肉離れが起こったという。

戸高は李にこう感謝する。「漢宰さんも『ホント思うようにならない』と言っていた。本当にその通りのことが起きていたので、そういう話は凄い大事でした。実際に乗り越えている人の話を聞くというのが一番ためになった」

戸高は感情を表に出さず、黙々と練習やプレーをするタイプ。しかしクラブハウスですれ違う彼とあいさつをかわしつつ、暗い影を感じたことは私もやはりあった。ちょっと良くなったかと思えば痛みが出る、プレーできそうと思ったらできない……。そんな日々を彼は2年半も送っていたのだから、それは当然だろう。

人間の身体は機械でなく、“修理”したから元通りになるものではない。李も戸高に対してこのようなことを伝えたという。「弘貴には『自分が良かったころを思い出して、そこだけ追い求めるとストレスがかかる。新たな自分を見出してやっていかないと駄目だ』という言葉をかけました」

戸高にこの2年半を振り返ってもらったが、特につらかった時期は全体練習の復帰直後だったという。それは「みんなとレベルがあまりに違い過ぎて、練習でも全部ボールを取られた」というギャップから。手術前と同じプレーを望むのは無理で、彼が近いうちに公式戦のピッチに戻るとしたら、スタイルは14年と少し違うものになっているだろう。

戸高と久しぶりに近い距離で話をしたら、明らかに上半身がゴツくなっていた。「それしかすることがなかった」というウエイトトレーニングの成果で、体重も2キロほど増えていた。そういうフィジカル的な変化もある。

彼は熊本戦のベンチで、こんなことを考えていたという。「ドリブルは顔も上がってないと絶対できないし、自分の中ではもうちょっとコンディションが上がらないと難しい。とりあえず走ることを今は意識している」

相馬監督も戸高についてこのような評価を述べていた。「彼は相手の懐に入る力、ボールを奪う力がある。切り替えの早さも含めてそういうところが大事」

戸高は14年のJ3でサイドハーフ、FWだけでなくボランチやサイドバックでも起用されていた。当面は中盤を活性化させる終盤のジョーカーとして、運動量や切り替え、近い間合いの守備といった強みを活かしたプレーで貢献することになるだろう。

熊本戦を勝利で終え、ゴール裏で恒例のラインダンスが行われる直前。彼は井上裕大から「戸高弘貴くんが2年ぶりに戻ってきました」とサポーターに紹介されていた。彼は軽く会釈したものの、無表情のままリアクションを取らなった。

「前で喋らされそうだったので、それが嫌だったので引っ込んでいました。だからあまりリアクションを取らずに……。でも嬉しかったです」

戸高は感情表現が不得手で、かなりシャイ。だから知らん顔をしていたが、サポーターや仲間の想いはしっかり伝わっていた。

李は戸高に対してこんなことも口にしていた。「もちろん順風満帆に行くわけじゃないし、もう一回下がることもあるかもしれない。でもサッカーができる喜びを感じながら、一歩一歩になるかもしれないですけど、強い気持ちを持ってやってもらいたい。また弘貴とサッカーをしたい」

「また弘貴と戦いたい」という表現に変えれば、サポーターも全く同じ気持ちだろう。もちろん復帰を急ぎ過ぎてはいけないし、最初は出番があっても数分、十数分という短さだろう。しかし、実はそんな短い時間の中に彼の2年半がぎっしり詰まっている。辛い日々を乗り越えて、新しい自分を作り上げようとしている戸高の挑戦を、皆さんにもぜひ見守って欲しい。

文:大島和人(町田担当)


明治安田生命J2リーグ 第12節
5月7日(日)16:00KO 町田
FC町田ゼルビア vs 湘南ベルマーレ
町田GIONスタジアム(FC町田ゼルビア)
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